オルタナティヴNEW KOFU LIFE

淡々とした生活の記録

2019年7月21日「さよならの準備」

この週末で地元に帰りたいという気持ちが急激に高まった。それはいろんなことを諦めなきゃならないことを意味する。だけど、この機会を逃したらもう地元に帰るという選択そのものが難しくなるのだろうなと。

 

時間の流れとともに周りの人たちがそれぞれの道に対して歩みを進めている。そういった光景を目の当たりにして自分自身も変わなくちゃいけない局面にいるのだろうなと思う。なのに変われない自分に最近は違和感をもっている始末。

 

そもそも3年前に前職の会社を辞めた段階で地元に帰るという道もあったわけで。それを踏みとどまったのはこの街が面白いなと思ったから。

 

だけど今の生活、特にこの1年ぐらいの生活を鑑みて面白さだけでは生活していけないなぁと。

 

もういろんなことを諦めよう。それで少しでも心が満たされるならそれで良いや。そんな風に思えるようになってきました。少しばかり大人になったのかもしれません。

 

まあ身体が弱っているときぐらいしか真剣に自分と向き合えないから、こういったことを書いているのだけど。

 

残りの人生、地元で送るのも悪くないなと素直に思えるようになってきた。誰の人生でもない自分の人生なのだから舵をきるときに多少のワガママしたってバチは当たらないだろう。

 

2019年6月26日「梅雨は負のスパイラルへの誘い」

※今回の投稿は割と今の苦悩について延々書いているので、そういった文章をお読みになりたくない方は読まないほうが賢明です。

 

 

 

今日はずっと身の振り方を考えていた。

 

こちらで就職したこと、たまたま知己が少しばかり多くいること、機会があり自分のお店を持ったことを除くとどうして地元に帰らないのか?という疑問にぶつかる。それぞれについて書いてみようと思う。

 

まずは仕事。以前の投稿で仕事のことについて書いたけど、結局のところ、担当が変わってからあんまり良い事がない。それで給与をもらってるんだから仕方ないという側面もあるけど、ほんとうに煮え切らない想いでこの数ヶ月仕事をしている。向こう数年は今の担当は変わらないだろう。それが嫌なら退職するほか道はなさそう。そうなると転職ということになるわけだけど、次の転職では地元に帰るというのが現実的なのだろうなと思う。老いていく両親のそばにいてあげるというのも自分にできる数少ない親孝行なのかもしれんし。

 

次に知己について。このところ感じるのは知己は多けれど、気軽にごはんを食べに行ったりとか遊びに行ったりと一緒に何かをできる人は意外と少なかったりすること。結局、ひとりぼっちなんだなぁと一抹の寂しさというか虚しさを感じるわけで。知り合いが少しばかり多くいる点がこの街に住み続けてきた一つの理由になっていることは確かなのだけど、このところはその点についても懐疑的になってきた。

 

最後にお店について。契約から店内の内装まで自分らで育ててきた場所だからそう簡単には閉めたくないというのが本音。加えて仕事のほうがアレな感じな分、良い息抜きになってるしねぇ。とはいえ、現実的な悩みもある。もともとそこで音楽をやりたくてお店を始めたのに本業の忙しさに加えて、お店のオペレーションをひとりでやる事が増えて音楽に向き合う余裕がなくなっている。なんというか本末転倒な感じ。

お店があるからかろうじて地元に帰るのを踏み止まっているというのもあるかもしれない。だけど、当初思い描いてたようにはうまくいってないように思える。

 

仕事にプライベート、ほんとうにいろいろとうまくいっていない。これで身体を壊した日には完全に機能不全になってしまう。ではどうすれば良いのか。正直わからない。

 

一旦全てをやめて、何もないところから始めるぐらいのドラスティックな事をしないと現状は何も変わらず、ただただ生きづらさを抱えながらいつまで続くかわからない残りの人生を歩んでいくことになりそう。

 

いつまでも堂々巡りなことしかできない、成長できない、そんな自分に対して自己嫌悪になってしまう。

 

一時的に失踪したいな。そんなことを考える今日この頃なのです。

2019年6月13日「生活」

このところ仕事の疲れが蓄積している模様。おかげさまで何をするにも億劫になる始末。

 

身体が疲れてるというより、心が疲れている。新年度に入って配置転換があり、責任の重たい担当になってから心労が絶えない。

 

加えて会社のイヤーな部分が見えてきて、多少なりとも実害を被りかけていて、なんとも言えない気持ちになるわけで。

 

給与は微増で、仕事量と責任の重さばかり増えていくのであれば今後、今の仕事との向き合い方を再考する必要があると強く感じる次第。

2019年5月27日「一期一会」

こうも暑い日が続くとうんざりする。特に山梨は盆地だからねぇ。明日は雨みたいだからそんなに暑くはならないのだろうけど。

 

話はガラリと変わるけど、人間は出会いと別れを繰り返す生き物なのだと常々思うわけで。ふつうに暮らしているとついつい忘れてしまいがちだけど、認知できているできていないに関わらずいろんな場面で人と出会っては別れてを繰り返しているんだろうな。

 

会いたいなぁと思ったときにはもうその人には会えなくなったりするわけで。一時的な別れ、袂を断つ別れ、今生の別れ、、、etc

 

そう考えると一期一会でちゃんとその人に向き合わないとダメだなぁと。もう会えなくなったときには言いたかったことも言えなくなるし、そうなると後悔ばかりが渦を巻くのだから。

 

明日はどんな日になるのだろうか。明日も一期一会で生きていこう。

 

 

2019年5月19日「明らかに五月病」

4月までの反動のせいか5月になって、割と些細なこときっかけでよく気持ちが落ちてしまうようになった。世にいう「五月病」というやつだろう。

 

人生には思うようにいかなくなる時期があるのだから、今はそういう時期なのだと諦めればそれまでなんだけれども。

 

確か去年も今ぐらいの時期に気持ちが落ちはじめて、浮かない気持ちで夏が終わっていったんだっけ。

 

今年はそうはなりたくないな。

 

こんなこと神様に祈るのは愚行だと思うけど、今の気持ちが浮上して夏をENJOYできるような刺激を僕にどうぞお与えください。

 

2019年5月13日「どこでもドアが欲しいよ」

気づいたら日記が1か月ほど止まっていた。平成から令和に変わり、最初の投稿だ。

 

これまで幾度となく地元に帰るべきか否かという場面に直面して、その都度悩んだ挙句それとなくこの山梨の地に住むような選択をしてきたわけで。

 

結局のところ、この答えの無い問題を先延ばしてきたツケはそのうち回ってくるわけで。いつかは最終的なジャッジメントを自分で下さなければならない。

 

今日、親族から届いたメールで改めてこの問題に直面している。というか勝手にそう思い詰めてしまっているだけなのだけど。

 

ただでさえ、地元がすぐに帰れる距離でもなく、長男坊であるという逃れようのない事実。

 

この街に暮らし始めてもうだいぶ経つし、たくさんの知己ができたし、新しいことも始めた。今の仕事だってそうそう辞められない。だからこの街から離れたくないというのが本当に思うところ。

 

一方で、生まれ育った地元への想いだって当然あるわけで。散々、好き勝手やらせてもらった家族への恩義もあるし、去年他界した祖母への想いもある。いつかは実家を守らなければならない日も来る。そう考えると帰らなければという気持ちも浮かんでくる。

 

最終的なジャッジメントは自分次第。

 

自分次第とは書いたけれどね。そうそう簡単に答えなんて出せる問題じゃない。

 

果たしてこんな葛藤を抱えている人は世の中にどれだけいるのだろう。

 

その人たちはどんな選択をしているのだろう。

 

山梨も地元も諦めたくない。

 

どうすればいいのか頭を抱えながら5月の夜は過ぎていく。